チェコ・ポーランドの旅17(アウシュヴィッツ・ビルケナウ収容所)

 バスでオシフィエンチムアウシュヴィッツポーランドでの呼び名)へ行き日本人公認ガイドの中谷剛さんの案内で、まずアウシュヴィッツ第1収容所(20ha)を、その後ビルケナウへ移動し第2収容所(170ha)を見学しました。おびただしく山のように積まれた犠牲者の遺品(トランク、眼鏡、義手・義足や松葉杖、髪の毛等)、ずらりと並んだ穴だけの便座、家畜小屋のような部屋の3段ベッド、集団絞首台、処刑場、ガス室・焼却炉等どれを見ても当時の残虐な様子が伝わります。

 私は、旅行前にアウシュヴィッツ関係の本を数冊読み、関連のDVDやテレビ番組を見てその残虐さやむごさをいやというほど叩き込まれていたためか、あるいはMASSで目に入るためか、「これがあの〇〇なのか」という感じで、意外なくらい冷静に見ていた気がします。それでも、これからガス室に入るという時は、ぎゅうぎゅうに詰め込まれて扉が閉まった瞬間毒ガスのチクロンが上からふりまかれ、苦しみながら十数分のうちに死んでいった姿を思い浮かべ、さすがに気持ちが悪かったです。

 ガイドの中谷さんはかなり抑制のきいた穏やかな語り口で説明されましたが、「現在の日本はどうでしょうか」「なぜでしょうか」と時々質問や課題が投げかけられ、それらの一つ一つは重くのしかかりました。

 また、ドイツの高校生もたくさん見学に来ていました。ドイツではホロコーストの現場を訪れて歴史の事実と教訓を学び、これを学んでいなければ大学入試に合格しないのだと聞かされ、加害者側の人間として学ばせるという姿勢に、本当に学んでほしいことはこういう形をとるべきなのだと日本の教育に思いを馳せました。「ドイツと日本の歴史教育」の違いの一端を垣間見た思いです。

 第一収容所近くのレストランで食べた昼食です。飢餓状態に近い食事しか与えられなかった強制収容所のことを思うと、時代が違うとはいえ、食べきれないほどの量に複雑な思いがします。