アメリカの食文化9(ホームスティ先での食事3)

 4月22~25日まで、北九州空港発着の「温泉・グルメ・絶景北海道モニターツアー4日間」の旅だったため、ブログは少し間が空きました。

 ホームスティ先での食事3は、私が作った日本料理です。

 1回目のホームスティでは、Mさん(別のコースの引率者)に手伝って頂きました。

 天ぷら、肉じゃが、炊き合わせ(高野豆腐、さやいんげん)、鶏のなべ照り焼き、茶わん蒸し、わかめときゅうりの酢の物といったオーソドックスな和食です。

 どれもdelicious!と喜ばれましたが、初めての箸遣いは難しいとみえてDavidは「もう10分くらい何も食べてないよ」と言いながら何度も挑戦している姿は微笑ましいものでした。

 

 2回目は、先生が少し手伝って下さったもののほぼ一人での作業でした。

 切れ味の劣る包丁とカッティングボードではきゅうりの輪切りもイマイチで、「学生の前では見せられないな」と思いながら切っていたら、横で見学されていた先生が驚きのゼスチャーをされ、「Mark come on」と、わざわざご夫君を呼ばれたのにはびっくりでした。リズミカルに薄くきゅうりを切る姿は珍しかったのかもしれません。

 料理は、茄子の炒め煮と、カボチャのそぼろあんかけが増えたくらいで1回目とあまり変わりません。。同僚ご夫妻を招かれての夕食となりましたが、日本食といえば、「天ぷら」「すし」の時代でしたから珍しかったのではないかと思います。

 

アメリカの食文化8(ホームスティ先での食事2)

 2回目はこのプログラムのお世話をされている先生宅です。家族構成はご夫君と2人の息子さん。ご夫婦の社交的な雰囲気とは対照的な無口な息子さんでした。

 

夕食

 先生は1日中誠心誠意学生の研修に関わっておられ、疲れていらしたようで夕食はイタリアレストランでいただきました。アメリカで外食というとイタリア料理や中国料理が多い感じです。

 一人でのホームステイにとても不安を覚えていたのですが、先生のユーモアやホットな気配りのおかげで、何とかなりそうと安堵したものです。

 

朝食

 教会から帰られてからなので(私は教会へは行かず、10時近くまでのんびりと過ごしました)11時からの朝食です。

 マフィン、シュトルーデル、マスクメロンどれももう少し食べたいくらいのおいしさでした。

 

昼食

 パンと野菜類とスモークターキーの昼食は手軽に見えますが、ターキーは裏庭に設置してある窯で3時間かけてスモークされたもので、本当においしくそれだけでも大変なおごちそうでした。アメリカの料理にはほとんど期待していなかったのに、家庭での料理は口に合うものが多かった気がします。

 食後、シルバーのカトラリーを手入れしながら、これにまつわる話をされたり、行事(クリスマスやサンクスギビング等)のテーブルセッティングを見せていただいたり、ホームスティならではの学びでした。

アメリカの食文化7(ホームスティ先での食事1)

 学生と同様、私も2回ホームスティを経験しました。

 1回目は大学の先生宅で、ホストファミリーの家族構成は電気店に勤務されバラを育てるのが趣味というご夫君、将来エンジニアになりたいという16歳の男子高校生David、獣医希望の14歳女子中学生Megan、それに猫3匹。幸せを絵に描いたようなファミリーでした。

夕食

 メニューは大学カフェテリアのものと似たような感じですが、家庭の味という感じがしておいしかったです。ジンジャーブレッドはアメリカ人の好みなのかレストランでもカフェテリアでもよく出ました。

朝食

 グリッツが加わった典型的なアメリカン・ブレックファーストです。2日間とも似たような感じでした。

昼食

 自分で具材を挟んで作るハンバーガーと、クッキー、ポップコーン、ポテトチップ、アイスクリーム。

 ポップコーンを食べるとき「chopsticks try try」とけしかけたらDavidは前日より箸遣いが上手になっていて、本人も得意そうで笑いが起こりました。

アメリカの食文化6(大学カフェテリアでの夕食)

 夕食は1日を締めくくる食事として整った内容のものが多いのですが、研修中は様々な理由によりこれが夕食?と思うようなものもあります。そんなものも取り上げてみます。

 研修大学での初めての夕食です。私は、栄養のバランスを考えた組み合わせを心がけていますが、カロリーの高いアメリカ料理に恐れをなし、ダイエットの意志を固めた人もいました。長くは続かなかったようですが。

 

 3人の体調不良者が出て、てんてこ舞いだった日の夕食は何とも支離滅裂な取り合わせです。朝6時前に、腹痛を訴える学生にたたき起こされて(フィールドトリップで行ったサバンナの日本料理店で食べた少し生ぬるい刺身が原因だったらしく)病院のお世話になり、腹痛・高熱の学生にコカ・コーラや着色料たっぷりのゼリーが与えられるのには閉口しましたが、日米の違いを知るという点では興味深いことでした。日本から持参したレトルトのおかゆと梅干をこっそり出し、喜ばれました。

 

 野球観戦のため、5時半集合ということで、そそくさと慌ただしく食べた夕食です。

 ゲームが始まる前に国歌が流れると、皆立ち上がって胸に手を当てて歌うのですが、その姿にアメリカ人の連帯感みたいなものを感じました。

 

 取り立てて特徴がある食事ではありませんが、敢えて言えば、野菜料理が柔らかすぎるということくらいです。

 研修も中盤を過ぎると「今頃は『わっしょい百万夏祭り』だ。帰りたい」とプチホームシックの学生もいましたが、私は翌日からのホームスティに備えて、英語で伝える準備に必死でした。

 

 夕食後、お世話になった先生方や学生、教会員、ホームスティ先のご家族を招いて過ごすFun nightがあるため、夕食はPicnic supperという簡単なものです。

 Fun nightは、飲み物とお菓子をいただきながらの歓談、ゲームや歌、踊り(フォークダンス、炭坑節、おはら節、阿波踊り)等、楽しい交流の夕べでした。

 

アメリカの食文化5(大学カフェテリアでの昼食)

 昼食メニューは夕食に匹敵するような豊富さでしたが、そのうちのいくつかを紹介します。

 私は基本的に主菜(肉か魚など)、副菜を組み合わせるのですが、この日は何と野菜料理のみ!食欲に任せて基本通り食べていたらとんでもないことになりそうという心配の表れが、飲み物も含めてこんな組み合わせに!

 

 サラダは生野菜のほかに、熱を通したマヨネーズ系のサラダも数種類あり、ディッシャーで取り分けたのがそれです。

 

 スパゲティやカネロニ等イタリア料理の出番も多かったです。

 グレーヴィーソースのかかったターキー入りパイはdeliciousと絶賛していますが、コメントは褒め言葉といえるかどうかわかりません。

 

 「米は副菜として位置づけられるものが多い」「ほうれん草は柔らかく加熱される」というのは西洋料理の共通点のような気がします。

 

 アメリカを象徴するような料理の組み合わせ。ピカンパイはよく出てきましたが、カロリーが高そうで敬遠することが多く、この時も味見程度です。

 

 魚料理(ソテー、フライ)、肉料理(ビーフステーキ、スペアリブ、ポークチャップ、チキンの煮込み)等も一通り味わっていますが、全体として野菜料理が多く、また、飲み物はダイエットコークという具合に「ヘルシー」を念頭に選んでいました。

 

アメリカの食文化4(大学カフェテリアでの朝食)

 姉妹校の大学寮に滞在した大半(26日間)の食事はほぼ大学のカフェテリアでした。

 自分の好みや体調で選んでいるので、偏りがあるかもわかりませんが、朝食については、肉食系で多いのは圧倒的にソーセージで、次にカリカリベーコン、ハムと続き、卵はほとんどがスクランブルエッグです。パンに相当するものとしては、ホットケーキ、ワッフル、マフィン等甘いシロップをかけるものが多かったですね。野菜はほとんどなく、せいぜいポテト位のものでしたが、フルーツはぶどう、メロン、オレンジ、パイナップル、苺、黄桃、グレープフルーツ、スモモなど種類は多く、毎回数種類のフルーツを選びました。

 朝食のいくつかを紹介します。

 大学カフェテリア初日の朝食です。バナナが日本の二倍くらいというのがいかにもアメリカという感じです。

 

 「グリッツ」はアメリカ南部、特にジョージア州の定番朝食ともいえる挽割トウモロコシを煮て作るお粥のような料理で、バターやチーズを加えていただきます。日本のお粥のような粘りはないのですが、お粥感覚で大学のカフェテリアでもホームスティ先でも私は飽きもせず好んでよく食べました。

 

 シリアル、ダイエットコーク、バナナブレッド、フルーツといかにもアメリカ的な朝食です。

 私は牛乳をよく飲みましたが、アメリカ人は牛乳をドリンクとして飲むよりは、シリアルにかける人が多いようです。

 朝からコーラやどぎつい色のトロピカルジュースを数本飲んでいるアメリカの若者を見ると、健康面で心配になったものです。

アメリカの食文化3(ワシントンD・C)

 ワシントン観光は、マウント・バーノン、スミソニアン国立航空宇宙博物館、国会議事堂、アーリントン墓地、リンカーン記念館、ホワイトハウスといったアメリカを象徴するような施設の見学で、これだけでもアメリカへ行った気になります。

 マウント・バーノンはアメリカ合衆国初代大統領ジョージ・ワシントンが、22歳から他界する67歳まで居住した所で、食料品もほとんどここで賄われたというほどの広大な土地です。奴隷用宿舎を見て、一緒に引率をしたU先生(英語科の専任でアメリカ人、当時学内の校宅に住んでおられました)が「私の家、奴隷小屋みたい!」といわれたように途轍もない広さでした。

 航空宇宙博物館の中でいただいた昼食は、運転手のスペンサーさんのおごりで、フライドチキン、サラダ、サンドイッチ、フルーツゼリー。これぞアメリカ!といった感じです。

 アーリントン国立墓地は、アメリカ最大の戦没者慰霊施設ですが、軍人以外にもたくさんの著名人が埋葬されており、ケネディ大統領のお墓があることでも有名です。衛兵交代式は3人で静かに行われていました。姿勢正しく威厳をもって行うためには2~3年の訓練が必要で応募者は厳選されるとのことでした。

 ホワイトハウスは外壁塗り替え工事中でした。「ホワイトハウス」と呼ばれるようになったのは、1817年、戦火で焼け焦げた外壁を白く塗装したことが始まりだそうです。