チェコ・ポーランドの旅4(テレジンと小要塞)

 テレジンでは午後、元男の子の家を改装した記念館、子供たちの絵その他を展示したマグネブルクカサッナ博物館を見学。写真や人の話を集めて当時のことを再現されていたというのですが、なぜかこの旅の中で唯一私の中で欠落している場所です。

 その後、アウシュヴィッツの中継地として多くのユダヤ人が犠牲になった強制収容所跡地「小要塞」を見学しました。大きなダビデの星が目立つ無数の石碑を横目に進むと、アウシュヴィッツの門に刻まれたのと同じ「ARBEIT MACHT FREI」(働けば自由になれる)」と書かれた門が見えてきます。これを信じて無惨に虐殺されていった人々の無念さを思うとおぞましさでいっぱいになります。

 庭を囲むようにして当時のままの囚人の部屋が立ち並び、中は窓のない部屋、あったとしても上部の小さな窓以外はコンクリートの壁だけという気の狂いそうな空間でした。全体で使う部屋には暖房らしきものや洗面台はありましたが、これらは国際赤十字社の視察向けに整備された見せかけのもので、実際に使えるものではなかったそうです。水しか出ないシャワー室、狭く粗末なベッド、見せしめの処刑場(銃殺の壁)など、どれを見ても「アウシュヴィッツが地獄なら、テレジンは地獄の控室だった」という形容そのままの収容所でした。

 当時、収容所では、親から離され、飢えや寒さ、淋しさ、つらい労働、死の不安におびえ生きる希望を失っていた1万5000人の子どもたちがいて、絵を描くことで笑顔をとり戻そうと立ち上がった大人たちがいました。多くの子どもは亡くなりましたが4000枚の絵と数十篇の詩が残されていて、それを多くの人に知ってほしいと活動を始められたのが野村先生です。この件については長くなるので、別の日に譲ります。

 テレジンからプラハに戻り、1499年からビールを製造しているプラハの老舗ビヤホール「ウ・フレク」で夕食をとりました。

 まずは、黒ビールで乾杯。

 私はビールが苦手で、一度もおいしいと思ったことがなく、ビール音痴の私はビールについて語る資格はないので、ビール好きの方が「『世界一』のビール堪能」と題して文集に書かれた内容を一部拝借します。「チェコは世界一のビール大国で一人当たりの消費量が世界一で、おいしくてしかも安い」「チェコのビールはフルーティでフレッシュ、中でも『金のビール』として地元の人々に愛されているピルスナー・ウルケルはすっきりとした味わいのビール」「ピルスナー・ウルケルは、チェコで1842年に誕生したピルスナータイプの元祖。ボヘミア産のザーツ・ホップをたっぷりと使用し、花のような優雅なアロマと上品な苦み」等等、ビールを心行くまで堪能された様子がうかがえました。

 メインディッシュは「グラーシュ」。チェコ料理にはドイツやハンガリーの料理にアレンジを加えたものが多く「グラーシュ」もその一つです。牛肉とタマネギ、パプリカなどから作られた濃厚なスープ料理で、付け合わせの「クネドリーキ」を絡めて一緒に食べるのが一般的です。

 クネドリーキというのは小麦粉を卵と牛乳で練って棒状にしたものを大きな鍋で茹でたパンのようなもので、チェコ料理には欠かせない存在です。

 デザートのアプフェル(アップル)シュトゥルーデルは、薄く延ばした生地に調理したリンゴやレーズンを包んで焼いたオーストリアおよびドイツの菓子。これまで食べた中で一番大きかったです。