ベトナムの食文化3(フォー、バインセオ)

 昼食はベトナム感満載の料理でした。

 最初に出た一皿は、ベトナムを代表する生春巻き。これに添えられた赤かぶのバラ細工はお見事でした。

 胡麻とお漬物をのせたおこげも、ベトナムが米文化国であることを物語っています。

 マンゴージュースも混じりけなし申し分のない味わいでした!

 フォーは米を原料とした、きし麺状の平たい麺で、ベトナム国民食ともいえるものです。1年に3回も米が収穫され世界でも有数の米生産国ベトナムでは、麺、春巻き、バインセオなど米粉で作られるのが特徴です。

 地域によって作り方や味付けに違いがあるようですが、出てきたのは牛肉ベースのスープに、麺と牛肉、もやし、ネギをトッピングしたもので、標準的なスタイルかと思います。

 フォーの起源は一説によるとフランスの植民地時代の「ポトフ」で、ベトナム人が牛肉を食べるきっかけになったのだとか。

 バインセオは日本では「ベトナムお好み焼き」、欧米では「ベトナム風クレープ」などと呼ばれています。

 米粉ココナツミルクターメリックを混ぜた生地(ベトナム風)をフライパンで薄く焼き、好みの具をたっぷりと乗せて二つ折りにしたものを一口大に切り分けて、香草(ミント、ドクダミ、シソなど)と一緒にレタスやサニーレタスなどの葉もの野菜で包み、タレをつけていただきます。

 タレは、魚醤をベースに酢や砂糖を加えたものなど様々です。

 デザートは、ドラゴン、パパイヤ、パイナップルなど東南アジアならではのフルーツです。

 

ベトナムの食文化2(クチトンネル、キャッサバ)

 まず訪れたのはホーチミンから車で約1時間半のクチトンネルでした。ベトナム戦争中に、南ベトナム民族解放戦線(通称ベトコン)によってゲリラ戦の拠点として作られた巨大な地下基地で、カンボジアの国境付近まで張り巡らされた全長250kmのトンネル内には数千の人々が暮らしていて、当時の生活の様子や戦争中に使われた罠の数々が、戦争史跡公園として残されています。

 恐怖を覚えたのは至る所に仕掛けられている「ブービートラップ」といわれる罠です。布と枯れ葉で隠した穴の上に踏み込むと、毒が塗られた針の上に落ち一瞬のうちに人間が串刺しにされてしまうという何とも残酷なものです。ベトナムのガイドさんが淡々と語られる米兵による拷問の話もあまりのひどさに耳をふさぎたくなったほどです。クチトンネルで感じた恐怖はアウシュヴィッツと規模は異なるものの、同質のものでした。

 クチトンネルの構造はとても複雑で、一見するとどこに出入り口があるのかわかりません。葉っぱで覆われた四角いマンホールのような蓋を開けると狭い穴が出現しトンネルの中に入ることができますが、この穴は、細身の人が万歳をした状態でかつがつ入れる程度の大きさですので、試してみるのは勇気が必要でした。

 アメリカ軍は、度重なる空爆枯葉剤の散布により敵の壊滅を狙いましたが、兵力や物資の面で圧倒的に劣っていたはずのベトコンは地下に潜ってゲリラ戦を展開し、勝利を勝ち取ったのですからクチトンネルはまさに、ベトナム人の知恵と忍耐の象徴といっても過言ではないと思います。

 パレスチナ自治区ガザ地区の地下にある深さ数キロメートルに及ぶ無数のトンネルが、人間や物資の運搬、ロケットや弾薬の保管、更にはハマスの指令室としても使用されているといわれているのに対して、クチトンネルはいわゆる生活の場で、それが数十年も続いたのですから、、、

この日は2回おやつをとりました。

 1回目は、クチトンネルの休憩所で食べたキャッサバとベトコン茶。生活の多くをトンネル内で過ごした人たちにとっては命を繋いでくれた食料だったのだろうなと、当時に思いを馳せながらいただきました。

 2回目は、昼食後、博物館や郵便局、聖マリア大聖堂、ベンタイン市場見学の後。ベトナム風ぜんざい(チェー)はタピオカ、ココナツミルクが入っていておいしかったのですが、夕食を空腹感で臨めなかったことは残念でした。

 

ベトナムの食文化1(プロローグ)

          

 ベトナムといえば1955年~1975年まで20年間続いた「ベトナム戦争」が条件反射のように頭に浮かびます。

 私が大学生だったころ(1964~1968年)反戦デモに参加する学生の姿をよく目にしましたが、当時ノンポリ(政治に無関心なという意味で、今では死語になっているかもしれません)学生だった私は恥ずかしながら問題意識は小さく、のほほんと過ごしていました。

 その後、枯葉作戦などベトナム戦争の悲惨さを伝える数々の非人道的な事柄を知るにつれ、忸怩たる思いが募り、ベトナムへの旅は避けていたように思います。

          

 ベトナムは南北に細長い形をしており中国・ラオスカンボジアと接しています。

 ベトナム料理は東南アジアの気候風土に根差した料理に加え、隣接した中国や植民地統治時代のフランスの影響も受けており、食文化の点で興味深い国です。比較的日本人の口に合うといわれ、一度はその味を確かめてみたいと思いながらも、ベトナムへ旅するのは長い間ためらいがあり、ようやく実現したのが戦後40年近く経った2013年でした。

 3泊4日という短い期間で、しかもホーチミン(旧名サイゴン)だけという地域限定の旅でしたが、料理だけでなく、ベトナム戦争が想像をはるかに超えた戦いだったことも知ることとなり、中身の濃い旅でした。

 

フランスの食文化20(エピローグ続き)

 フォン(だし)やバターなどの油脂、酒類、香辛料など様々な材料を用いて作られるフレンチのソース。中には芸術作品と呼ばれるほど完成度の高いものもあり、まさにシェフの腕の見せ所なのかもしれません。

 ただ、料理とソースの関係を眺めてみると、ヌーヴェル・キュイジーヌ(「新しい料理」の意)へと移行するに伴い、ソースも変化を見せているようです。かつては主材料と主役を競っていたものが今や主材料の持ち味を高める引き立て役にと変わり、盛り付けもソースが皿一面を覆っていたものが、まるで絵を描くように軽やかで余白の美を感じさせるようなスタイルに変わり視覚的にも大きく変化しています。日本のフレンチは視覚重視なのか、ソースということを忘れそうになるほど申し訳程度に配されていることが多いようですが、これがないと画竜点睛を欠き料理の価値は下がるように思います。

 話はそれますが、昔読んだ本の中に、イタリア料理とフランス料理の違いを端的に物語る次のような表現を目にしました。「色調に例えるとイタリア料理はクレヨン、フランス料理は絵の具で描いた絵」なのだと。色彩がはっきりした鮮やかな色とパステルカラーの違いという意味かと思いますが、クレヨンと異なり絵の具は色々な色を混ぜることが出来るため、複雑な色合いを出せるということでもあり、これはソースにも当てはまるような気がするのです。

 濃厚さという点では、フランス料理や中国料理は油絵、日本料理は水彩画という気がするのですが、ちょっと飛躍すぎますかね。

 ソース抜きにフランス料理を語るわけにはいかず、ソースだけのために2回にわたるエピローグとなってしまいました。

 フランス料理をいただく時、ソースにもちょっと心を寄せると味わい深いものになると思いますよ。

 

 次回からフランスが統治していたベトナムです。

フランスの食文化19(エピローグ)

 フランスの料理に触れて感じることは、フランス料理がイタリア料理を原型としているため、献立構成など若干似たところはあるものの、料理自体はかなり異なり、その違いを特徴づけているのはソースではないかということです。今回取り上げた料理でも、オードブル、メインディッシュ、デザートにいたるまで、様々なソースが使われており、「フランス料理はソースで食べさせる」を納得した次第です。

 フランス料理といえば、「ソース」といわれるほどソースの重要度は高く、種類も様々あり、細かいものまで含めると数百種類もあるといわれています。

 フランスにおけるソースの種類の多さについては、タレーランが語ったという「イギリスには2つのソースと300の宗教がある。しかるにフランスは、宗教は2つきりだが、300以上のソースがある」を思い出します。

 タレーランフランス革命からナポレオン時代にかけて、フランスの政治と外交に大きな影響を与えた人物ですが、同時に美食家としても知られ、当時の著名なシェフ、アントナン・カレームを雇い入れ、カレームとともに「美食外交」に手腕を発揮したことでも有名です。

 タレーランの下で腕を磨いたカレームはその後、数か国の皇太子や皇帝の料理長を歴任し「シェフの帝王かつ帝王のシェフ」と呼ばれる宮廷料理人になり、「有名シェフ」の先駆け的人物としてもよく知られるようになりました。

 ソースの話からタレーラン、アントナン・カレームへと飛びましたが、フランス料理の発展や広がりに大きく貢献した人物として2人の存在は欠かせないと思いここに登場させました。

 ソースに関連して、もう少し補足したいことがありますが長くなるので次回に回します。

フランスの食文化18(賛助出演、ベルギー3)

 ベルギー訪問2回目の時の夕食です。

 前回同様山盛りのムール貝はとてもおいしく、私がビデオ撮影している間に残り少なくなっていました。

 ビールが好きでもないのに2種類も注文したのは単なる好奇心。ビールの味に疎い私でも違いがはっきり分かる味わいでした。

 ウナギの料理といえば日本では何といってもかば焼きですが、西洋では煮込みや燻製、酢漬けなど思いもよらない料理に変身したものに出くわしました。ですがかば焼きに勝るものなしと私は思います。かば焼きは醤油あってこその日本が誇る料理の一つという気がします。

 

フランスの食文化17(賛助出演、ベルギー2)

 初めての海外旅行の最後の晩餐はベルギーでの夕食で、キリストの最後の晩餐と同じ13人!

 概してヨーロッパでの食事時間は長いのですが、最後ということもあったのか、何と3時間にも及びました。これだけの料理でよく3時間も持ったという気はしますが、最後なので話が弾んだのでしょう。

 犬を連れたベルギーのお客さんがいて、犬と同伴でも入れることに驚きましたが、犬は訓練されているのか吠えるでもなくちんまりと座っていました。

 器いっぱいのムール貝、2年後も同様にたっぷりのムール貝が出て、以来ムール貝といえばベルギーを連想するようになりました。

 チョコレートムースはびっくりするほどの甘さ。ベルギーといえば、チョコレートの高級ブランドとして世界的に有名なゴディバのチョコレートがあります。ギフト用として立派な箱に詰められているものしか知らなかったので、ばら売りで販売されているのを見て思わずお土産用にたくさん買い込みました。私は、甘さや香り、口当たりなどの点で日本のチョコレートの方が好きですけどね。